若松 賤子
黄金機会
上
私は二十になつた今日までの生涯にこれぞといつて人さまにお話し申す大事件もなく、父母の膝下に穏やかな年月を送つて参り升たが、併し子供心に刻みつけられて一生忘れられまいと思ふことが二ツ三ツ有り升。其中十一才の誕生日に有つた事※(「てへん+丙」、第4水準2-13-2)をお話し致しませう。私は子供の中から日課の本より戯作もの実録ものなど読むが好で、十一才の時分にはモウお袋の仕事する傍らに坐つてさま/″\貸本やの書物などや、父が読ふるしの雑誌なども好んで読み升た。読むものゝ中には解し悪い処は固より尠からず有升たから本を膝の上へ置て母に質問することが度々有つて、それでも分らぬ処は想像にたより、よく/\夢中で読む処もないでは有ませんでしたが、さういふ処は拠なく捨置いていつか分る時もあらうと茫然と迂遠な区域に止め置て、別段苦もいたしませんかつた。十一才の誕生の日には母の免しを得て一日学校を休み、例の通り少し斗りの祝をして貰らい升た。午の赤飯、煮しめも食べ終つて、午後は雨もよほしで外出も出来ませんかつたから雑誌のよみかけを読まうと母に相談し、さてある社会改革者の事業の一段に読み及ぼして、「此黄金機会を外さず」といふ一句へ来升と、書物を下へ置いて、母の顔を覗き、質問いたし升た。
おつかさん、黄金機会ツてなに?
大層好いをり、好都合の時といふことですよ。