折口 信夫

最低の古典

現代かなづかひがきまつたのはともかくめでたいことと思ふ。ただ、それについて大きな用意があるのかといふことだけをききたい。歴史かなづかひといふものは、われわれ国民、年寄りから低いところは国民学校の子供に至るまで、これを以てほこりとしてゐる最低の古典なのだから、これに代るべきものが用意せられてゐるか、或は何か与へなければならぬといふことを考へたかどうか問ひたい。

新かなづかひが出来たから、それでおしまひといふのでは、国語のまつりごとはからつぽになる。国民はみな国語を愛してゐる。役人も、もちろん国語を愛してゐることにおいては、誰にも負けるものではない。それは信じてゐる。しかしその愛を一人占めするやうな気持があつては困る。かういふ際はできるだけへりくだつた気持でことをさばいてほしいものだ。要するに、国語表現の歴史がいつぺんに飛躍する時だから、新かなづかひ実行のためには、二人や三人が命を失ふ覚悟でかからなければ何も出来ない。

日本国土のうちに一人でも原住民が生きてゐる間は、この原住民のもつ生活法などをむやみに変へてはならないことは人類の道徳である。クヮ、ヂ、ヅなどを発音する地方が相当に広く、またさういふ古い発音になれた人々が同国人のうち沢山ある以上は、これをかんたんに片づけてしまふ気になつてはならないのである。

こんどの運動は、そこに気を配つてゐるだけでも、今までの運動よりはよい。なぜ思ひきつて、こんどのやうな際に漢字全廃をやらなかつたのか。そこに私は、役人の肚のすわりを要求する。

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