国枝 史郎
赤い手
まだ真夜中にはなっていなかった。
が、豪奢なウッドワードのアパートに漲る深々たる夜の静寂は、泥棒猫のようにこっそり忍び込んだスパイダー・マッコイの亢奮した神経を針のように尖らせた。ゴム底の靴は歩く度に高価な絨氈の中に深々と沈み、彼の熟練した眼には夜目にも素晴しい調度品が感じられた。室から室を忍び歩く足の感じと時折照す懐中電燈の光だけで、スパイダーは家の中の様子をあらまし頭の裡にたたみ込んだ。
総べては彼が想像した通りだった。いや、サディが彼に知らせた通りだと云った方がいいかも知れない。サディはウッドワード夫人がフロリダ地方へ出立する以前、一ヶ月許り女中として住み込んでいた。そして彼女は室々の詳細の様子をスパイダーに知らせて寄したのだ。今その正確だったことが分ると、彼は舌を巻いて驚いた。
「サディは利口な奴さ」と彼は呟いた。「その上、気が利いていやがる。あれでスラッグ・ドルガンに気がなければなあ」