国枝 史郎
国事犯の行方
一
石川島監獄の内は陰森として暗らかった。
「……どうも夫れは宜くあるまい。私には何うも賛成出来ぬ。……それは残念には相違あるまい。泥棒をしたというのでは無く、いずれも国家の行末を案じ、一片耿々の志を以て天下の為めに大事を行い、その結果捕われて幽囚されたのじゃから、俯仰天地に恥ずる所は無く、従って捕われて自由を奪われた事は無念であるに相違無い。併し、それ故破獄して浮世の風に当ろうと云うのは大丈夫として為すべからざることじゃ。男子須らく天命に安んず可し。何んとそうではあるまいかな」
斯う云ったのは河野広中である。明治十七年三月二十七日の夜で、此頃河野広中氏は福島事件に連座して、此処監房に入れられていたが、同室の赤井景韶と同じく松田克之の二人に破獄逃亡を勧められたのである。