邦枝 完二
曲亭馬琴
一
きのう一日、江戸中のあらゆる雑音を掻き消していた近年稀れな大雪が、東叡山の九つの鐘を別れに止んで行った、その明けの日の七草の朝は、風もなく、空はびいどろ鏡のように澄んで、正月とは思われない暖かさが、万年青の鉢の土にまで吸い込まれていた。
戯作者山東庵京伝は、旧臘の中から筆を染め始めた黄表紙「心学早染草」の草稿が、まだ予定の半数も書けないために、扇屋から根引した新妻のお菊と、箱根の湯治場廻りに出かける腹を極めていたにも拘らず、二日が三日、三日が五日と延び延びになって、きょうもまだその目的を達することが出来ない始末。それに、正月といえば必ず吉原にとぐろを巻いている筈の京伝が、幾年振りかで家にいると聞いた善友悪友が、われもわれもと押しかけて来る接待に悩まされ続けては、流石に夜を日に換えて筆を執る根気も尽き果てたのであろう。「松の内ア仕様がねえ」と、お菊にも因果を含めるより外に、何んとする術もなかった。
が、松が取れたきょうとなっては、もはや来るべき友達も来尽してしまった肩脱けから、やがて版元に重ねての催促を受けぬうち、一気呵成に脱稿してしまおうと、七草粥を祝うとそのまゝ、壁に「菊軒」の額を懸けた四畳半の書斎に納まって、今しも硯に水を移したところだった。