正岡 容

大正東京錦絵

「カチューシャ」前後

木下杢太郎氏が名詩集『食後の唄』の中の「薄荷酒」と云ふ詩の序の一節を、ちよつと読んで見て呉れないか。

「その頃聴いたのは松声会でなくて、哥沢温習会の方であつた。芝とし、芝みねなどと云ふ美声の老女もまだ微かに覚えてゐる。(中略)かかる会には美しい聴衆も多くて、飛白の羽織に小倉の袴を穿つた身の風情を恥かしいと思ふこころもあつた。やや年とつた男の人々のうちには、川柳の回覧雑誌のことを話しあうてゐるのもあつた。」(下略)ヽヽは勿論私が施したものであるが、この杢太郎氏の随筆は大正五年一月に執筆されたもので、尚この文章をおしまひまで読んでゆくと、同氏が哥沢温習会へゆき、「川柳の回覧雑誌のことを話しあうてゐる」を見たのは大正元年あたりのことらしい。

爾来数年、川柳はいよ/\市井文学として一杯に開花し、結実し、「回覧雑誌」は同人雑誌と、やがてある種のものは一般雑誌の一歩手前位まで発展していつたと見ていい。

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