長谷川 時雨
日本橋あたり
その時分、白米の價が、一等米圓に七升一合、三等米七升七合、五等米八升七合。お湯錢が大人二錢か一錢五厘といふと、私は、たいした經濟觀念の鋭い小娘であつたやうであるが、お膳の前へ坐ると、頂きますとお辭儀をするし、お終ひになると、御馳走さまといつたり、さうでもないと、默つて一禮して、お膳を下げてもらうといつた、お行儀はよいが、世の中のことなんにも知らない、空々寂々のあんぽんたんであつたのだ。
しかし未曾有の國難、大國支那と戰ひがはじまるかも知れないといふ空氣は、店藏ばかりに圍まれてゐる問屋町の、日本橋區内の、およそ政治には縁の遠い、深窓とまで大家ぶらないでも、世の中のことを明白には知らせて貰へなかつた娘たちにも、なんともいへない大變なことだと思つてゐたのはたしかだ。
「支那つてこんなに大きいんだわね。」
女の學問を極度にきらつて、女學校にやられない小娘たちは、藏の二階の隅から、圓い地球儀を持出して來て、溜息をついた。彼女たちが幼少だつたころの父の机の上には、その地球儀があつたのだ。孔雀の羽根の長いのが筆立に一本さしてもあつた。