長谷川 時雨
吾が愛誦句
六歳のをり、寺小屋式の小學校へはいりまして、その年の暮か、または一二年たつてかのお席書きに、「南山壽」といふのを覺えました。だが、この欄に書かうと思ひますのは、それよりもまた一年位たつてから書きました、
百尺竿頭更一歩進
といふのでございます。これは、わたくしが、物を覺え、よく記憶したはじめての句だといつてもよいかと思ひます。字句の置きかたは、今まであまり心にしてゐなかつたので違つてゐるかもしれませんが、お席書きの字數が長くなつたからばかりでなく、先生からその字句の意味を口授されたのが、どこか頭にのこつてゐたのだ、と思ひます。
先生はかういひました。これは、棹がだんだん長くなつてゆくのだ。繼棹だと思つてもいい。ともかく、その棹のさきへきたらば、またそのさきへ一足でも進んでゆくことだ。いいか、棹が百尺あつて、その百尺だけあるいて、ああもうこれでいいと思つたのではいけない、そのさきへ、一足でも出てゆくのだよ――と。