折口 信夫

日本文学における一つの象徴

一 しゞまの姫

父君早世の後、辛い境涯が続いた。物豊かに備つた御殿も、段々がらんとした古屋敷になつて行く。其だけに、教養を積むこともなく、そんな中で唯大きくなつたと言ふばかりの常陸の姫君、家柄は限りもなく高かつた。だが、世馴れぬむつゝりした人のよいばかりの女としか育ちやうがなかつた。其うへ、わるいことには、色の抜けるほど白い代りに、鼻がぬうとして居て、其尖が赤かつた。髪の黒々と長かつたに繋らず、鼻筋が曲つて、すつきりした処と謂つては何処にもなかつた。其へ、光源氏が通ひ初めて、春立ち夏過ぎて、十八歳の秋、満月後の廿幾日である。手紙を遣しても、返事はなし、ほと/\根負けするばかりになつて居る。今夜だしぬけに、姫君の居る座近く辷り込んで行つた。近よつて見れば、なか/\口返事などあるどころの騒ぎではない。とてもひどいと言ふ外はなかつた。そこで、

幾そ度君がしゞまに負けぬらむ。ものな言ひそと 言はぬ頼みに

――お黙りと仰らぬだけが目つけもので、其だけをたよりに、私はあんなにしつきりない手紙をさしあげた。其が皆、むだになつて居ます。どれ位、あなたの無言の行に負かされて来たか知れない――

青空文庫の作品カード