折口 信夫
歌舞妓とをどり
東京と上方とでは舞踊家の態度が異つてゐる。東京の踊りは歌舞妓の歴史に関りを持つてゐるが、上方の舞ひは能から出てゐると言はれてるだけに、上方のは、そんなに踊りは芝居と密接な関係に捉はれてゐないのだ。
東京だつて、歴史は歴史として、もつと役者の舞踊から自由になれないと言ふ謂はれはない。役者は専門を持つてゐる。舞踊家が極端に役者の踊りに随ふと言ふことは、舞踊家自ら源を涸らすことになる。
我々からすれば、能がゝりだとか、芝居がゝりでない方が踊りらしい気がする。だから、これでも踊りかと言ふ気のするものが多くて、踊り自身すら早くから不純なものになつてゐたのではないだらうか。
何と言つても現実がかうあるのだ。だから其から出発しての議論でなくては、と言ふ論法で、歌舞妓所作事を踊りの正道なものとするのなら、話は別である。事実、今のやうな組み合せで、芝居をくり返してゐるなら、歌舞妓芝居そのものをも滅することになりはすまいか。