折口 信夫

街衢の戦死者

戦災死と言ふ語は、侘しい語である。積る思ひを遂げることなく過ぎ行く、といふ義が伴ふとすれば、此ほどやる瀬ないことはない。だが、国難に殉じたと言ふ、一部聯想の悲痛なものがあつて、その側からは、我が傷ましい街衢の戦死者を、纔かに弔ふに足る思ひがある。中村魁車を憶ふ場合、殊にこの語があつて、吾々の傷む心が、幾分でも軽くなるのはせめてもの気がする。

大阪に第一次戦災のある日までは、夢にも思はなんだ彼の最期である。それほど、役者の生涯といふものは、浮世の中にも、浮世と言ふに、最ふさはしいものであつた。而も、私如きが之を誄することは、まことに身にそぐはぬ、をこがましさであるが、彼役者の才伎の為には、こんな文章の一つ位も、書いておいてやりたい気がする。尠くとも、彼の舞台に唆られた覚えのある同年輩の浪花びとの中には、この心を知つて嗤はぬ者もあるだらう。

大阪南地宗右衛門町置屋「桂屋」の浜の防空壕の煙の中で、花の如き女形が、絶息してゐた。――さう言ふ上ついた噂をひろげる時勢ではなし、第一其よりも、あの荒涼たる灰燼の中に、美しい木乃伊を横へた幻影を人に持たせるには、清く美しかつた魁車も、既に三十年は生き過ぎて居た。

それにしても無慚なのは、孫を固く抱いたまゝ黒くなつて居たと言ふ――その、人をせつながらせる姿が、思ひがけなく、吾々の魁車像に割りこんで来てしまうたことである。三千歳姫や、三浦助の舞台顔のまゝで残つた彼の先輩たち――雀右衛門・鴈治郎――は、何たる幸ひ人であつたらう。

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