折口 信夫

菊五郎の科学性

ことしの盂蘭盆には、思ひがけなく、ぎり/\と言ふところで、菊五郎が新仏となつた。こんな事を考へたところで、意味のないことだけれど、舞台の鼻まで踊りこんで来て、かつきりと踏み残すと言つた、鮮やかな彼の芸格に似たものが、こんなところにも現れてゐるやうで、寂しいが、ふつと笑ひに似たものが催して来た。

このかつきりした芸格は、同時代の役者の誰々の上にも見ることの出来なかつたものと言へる。此を、彼の芸が持つ科学性と言つても、ちつともをかしくない。左団次なども聡明と言ふ側から、同質の特徴を持つた人のやうに考へる人があるかも知れぬが、其は時流性とでも言ふべきもので、時代の受け容れ方が、どう言ふ傾向に向いて居るかを、よく弁へて居た人であつたのだ。歌右衛門なども、何か、かうかつきりした所の、目についた人だが、此常識が、珍しい程度に発達して居て、判断が正確だつたと言ふ側の人であつた。単純化と言つた才能はあつたが、芸の正確と言ふ点には疑問がある。

劇作家の如く綿密な企劃を以て、彼のからだの戯曲を舞台の上に書いて行つた。だから役者であるよりも、演出者としての、優秀な技能を持つてゐるのではないかと思はれた位だ。この点では、今後も暫らく、此人に似た者の出て来る期待は、持てさうもない。

歳が長じると共に、彼の芸の上に目立つて来たことは、芸量が深くなつたことでもない。芸域の広くなつたことでもない。この計算どほり表現しようとする彼の科学性が、益発揮したことであり、其よりも更に我々を驚かしたのは、其指物師の様な細緻な計数を土台として、其を超える芸の自在性が溢れて来たことであつた。市村座時代の此人には、実はまだ、あ

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