菊池 寛
藤十郎の恋
一
元禄と云う年号が、何時の間にか十余りを重ねたある年の二月の末である。
都では、春の匂いが凡ての物を包んでいた。ついこの間までは、頂上の処だけは、斑に消え残っていた叡山の雪が、春の柔い光の下に解けてしまって、跡には薄紫を帯びた黄色の山肌が、くっきりと大空に浮んでいる。その空の色までが、冬の間に腐ったような灰色を、洗い流して日一日緑に冴えて行った。
鴨の河原には、丸葉柳が芽ぐんでいた。その礫の間には、自然咲の菫や、蓮華が各自の小さい春を領していた。河水は、日増に水量を加えて、軽い藍色の水が、処々の川瀬にせかれて、淙々の響を揚げた。