堀 辰雄
巣立ち
彼女は窓をあけた、さうすると、まるでさういふ彼女を待つてゐたかのやうに、小屋のすぐ傍らの大きな樅の木から、アカハラが一羽、うれしさうに啼きながら飛び下りてきて、その窓の下で餌をあさり出した。けさもまた霧雨がふつてゐるのである。もう七月だといふのに、さうやつて窓をあけてゐると、寒いくらゐだ……
はじめのうちはよく彼女は、その小鳥に何かやらうと思つて、いそいで食物の殘りをもつてきてやつたが、それを投げると、小鳥はびつくりして逃げてしまつて、二度と近づかないのである。それでこの頃はもう、彼女は窓のところに手をかけたきり、草の中に赤い胸をかくすやうにして、何をあさつてゐるのか、小鳥があちこち走りまはつてゐるままにさせて置くのである……
突然、その小鳥が何かにびつくりしたやうに、飛び去つた。氣がついてみると、彼女の背後に、いつのまにか彼が寢間着のまま突立つてゐるのだつた。
「なあんだ、おれが來ると、すぐいつてしまやあがる」彼はさう不平さうに言ひながら、輕い咳を二つ三つした。