堀 辰雄
「オルジェル伯爵の舞踏会」
これはレイモン・ラジィゲの小説だ。私はこの小説について語る前に、まづ作者ラジィゲについて一言したい。ラジィゲは一九二三年に二十で死んだ詩人だ。今生きてゐても私より一つ年上なだけである。そしてこの小説は十九で書いたのだ。彼はランボオのやうな「恐るべき子供」だ。しかし彼がランボオよりもつと驚かせるのは、さういふ「恐るべき子供」に特有な異常さが、彼には一寸も無いことだ。ラジィゲの才能は通常な風をしてゐるのだ。これはより以上に驚くべきことではないか。
ラジィゲは死んだが、それと同時に、彼の生涯が始まつたと言つてよい。何故なら、彼は三册の著書を殘したからだ。一卷の詩集と二つの小説その小説の一つの此の「オルジェル伯爵の舞踏會」は彼の死んだ病院の一室で校正されたものだ。
この小説は徹底的に心理解剖で行つてゐる。ラジィゲは「小説はロマネスクな心理學だ」とさへ言つてゐるのである。
「オルジェル伯爵夫人のそれのやうな心の動きは時代遲れなのだらうか? このやうな義務と淫蕩との混合は、今日では殆ど信じがたく思はれるかも知れない。しかし、それは我々が純潔さと云ふものにあまり注意を向けてゐないからではないか? 純潔な魂の無意識的な作用は、惡癖の組み合せよりずつと特異な場合がある。」