堀 辰雄
黒髪山
源氏物語の「總角」の卷で、長患ひのために「かひななどもいとほそうなりて影のやうによわげに」、衾のなかに雛かなんぞの伏せられたやうになつたきり、「御髮はいとこちたうもあらぬほどにうちやられたる、枕よりおちたるきはの、つやつやと」した宇治の姫君が愛人の薫の君たちにみとられながら、遂に息を引きとつてしまふ。そのとき薫の君が「夢かとおぼして、御殿油をちかうかかげて見たてまつり給ふに、隱したまふ顏もただ寐たまへるやうにて」、なんだかいつまでもその儘の姿にして、置いておきたい程のいぢらしい氣がしながら、「御髮をかきやるにさとうちにほひたる、ただありしながらのにほひに」何とも云へず切なくなる心もちを描いてゐる。私は其處を讀んだとき非常に感動した。
若く美しい女のもう冷たくなつた亡骸を描いて、そのかき亂れた髮の毛だけがまだ生きてゐるときと同じやうに匂ふところを書き添へたのは實に效果的である。これほど簡潔で深い印象を與へる死の場面はさう他處にあるものではない。私達の遠い祖先は既にかういふ效果を知つてゐたのかと思つた。
そこにはもう圓熟した物語作者がゐる。人間の死に對してもあまり怯まず、佛教などで鍛へ上げられた、透徹した觀念を既に持つた人の目であつたにちがひない。
※(アステリズム、1-12-94)