堀 辰雄

萩の花

萩の花については、私は二三の小さな思ひ出しか持つてゐない。そのいづれもがみな輕井澤で出遇つたことばかりである。その花の咲く頃、私は大抵この村にゐるからであらう。

※(アステリズム、1-12-94)

いつの夏の末だつたか、鶴屋旅館の離れで、芥川さんと室生さんが、同宿の或る夫人のために、女持ちの小さな扇子に發句を寄せ書きなさつたことがあつた。そのそばで少年の私は默つて見てゐたのである。芥川さんはなんでもその扇面に、小さな細い字で「明星のちろりに響けほととぎす」といふ句をお書きになつた。それをその扇子に書いてしまはれると、こんどはお二人で在りあはせの紙に、即興句を口ずさまれながら、しきりに何やらお書きになつてゐられた。その多くは書くそばからすぐ丸められたが、そのうち芥川さんは一枚だけ、やや氣に入られたか、破かれずに脇に置いておかれた。それには一匹の蜻蛉の繪が輕くあしらはれて、

野茨にからまる萩のさかり哉

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