堀 辰雄
二人の友
一、中野重治
それからもう數年になるのである。
ある日のこと、僕が田端の室生さんのところへ行つたら、室生さんは「昨日は面白い男がきたよ」と云つた。その男は自分は五十位になつたらいい抒情詩が書けさうだと云つてゐたさうだ。そして大へん酒が好きで、そのためかどうか知らないが、動坂の酒屋に間借してゐた。そして近くその酒屋が深川の方に引越すといふのでたぶんその男も一しよについて行くだらうといふ話であつた。いかにも室生さん好みの男らしかつた。そしてあとで分かつたが、その男が中野重治だつた。
ところが、中野はそれから間もなく、自分が五十になるのを待たないで、詩をどんどん書き出した。それらはすばらしい抒情詩だつた。ことに「波」とか「豪傑」などの諸篇は、僕等の愛誦措くあたはざるものだつた。丁度その時分彼の好きだつた女のひとがアメリカに行つてゐて、そのひとについて彼は「私とお前とは逆樣に立つてゐるのだ」などと書いたりしてゐたものだ。