堀 辰雄

牧歌

あなたの、お父さんの雜誌に書けといはれた隨筆でも書けたら書かうと思つて、かうやつてけふも森の中へ、例の大きな drawing-book をかかへて、來てゐるのです。僕の住んでゐる屋根裏部屋なんぞにくすぶつてゐるより、森の中でもぶらぶらさ迷つてゐるときの方が、ずつといい考への浮ぶのは當然。しかし僕も頭が惡くなつたせゐか、せつかくいい考へが浮んでも、そばから物忘れをしてしまふので、(ひとつにはそんな ephemeral なものしか考へられないからかも知れないのですが、)この頃はかうやつて繪描きのやうな眞似をして、その場ですぐそれを書きとめて置くのです。

※(アステリズム、1-12-94)

けふは淺間登山道を僕は眞直に登つてきた。――實は今朝、まだ霧のふかいうちに、僕は半分睡氣ざましに、この山道の入口のところまで歩きに來たら、丁度そのとき霧のなかに大きな牝牛を一匹放したまま跡に歩かせながら、默々と山に登つて行つた、三人のリュックを背負つた山人夫達を見かけたのだけれど、その後ろ姿が僕には何とも云へずなつかしく見えたのだ。――それよりすこし前のこと、僕が霧の中にちらちらと花のほの見えてゐる馬鈴薯畑を前にした、一面にクロオヴァの茂つた、やや斜へになつた小さな空地のところへさしかかると、いつもはそこに二匹の山羊がつながれてゐるところに、その姿は見えず、その代りに思ひがけず大きな牝牛がひとりで草を食べてゐた。おまけに放し飼ひにされてゐる。こりあてつきり何處かの農家の牛が自分で繩でも切つてこんなところまで草を食べに來てゐるのだらう位に思つて、そこから僕はすこし後退りしながら、それをぼんやり見てゐ

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