堀 辰雄

水のほとり

私はいま、こんな胸の病氣で、部屋の中に閉ぢ籠つたきり、殆ど外出することなんかないと言つていい位であるが、――いまから數週間前、まだ私の病氣もこんなに重くならなかつた頃のことだ、晝間のうちはそれでも我慢して寢床の中にもぐり込んでゐたが、夕方になるとなんだか耐らない氣持になつて、私は無理に起き上り、出來るだけ氣輕な散歩者のやうな服裝をして、何のあてもなしに街の中へ出かけて行く習慣があつたものだ。そして私は家を出ると、すぐ前の、今年になつて漸く出來上つた隅田公園のなかを通り拔けながら、或時は枕橋を渡つて、河岸に沿うたままビイル會社の横を拔けて吾妻橋の方へ出たり、また或時はそれと反對の方向に、新築中の牛島神社の裏を拔けて、言問橋の方へ出たりするのであつた。そして吾妻橋にせよ、或は言問橋にせよ、私はそれを渡りながら、ふとその中ほどに立止つて、それらの橋の下を、鈍く、くろぐろと流れてゐる大川に見入るやうなことがあつた。あたかも自分自身の心の状態を試して見るかのやうに。……そしてその時、もし私にアポリネエルのセエヌ河を歌つてゐる詩などがひよつくり思ひ浮ばうものなら、私はそれによつて自分の心の何となく晴れやかであるのを知ることが出來た……

L'amour s'en va comme cette eau courante

    L'amour s'en va

   Comme la vie est lente

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