リルケ ライネル・マリア
ドゥイノ悲歌
次ぎの手紙の斷片は、リルケの作品をポオランド語に飜譯したヴィトルト・フォン・フレヴィチのさまざまな質疑に答へて詩人が書き與へた返事のうちの「ドゥイノ悲歌」に關する部分である。この手紙には日付がないが、消印によつて一九二五年十一月十三日のものであることが知られる。
※(アステリズム、1-12-94)
……ここでは、親愛なる友よ、ごく僅かなことしか私自身にも言へません。
詩そのものを手になさつて、御自分でいろいろな解釋を試みてごらんなさい。が、さうするには? 何處から始めたらいいか? それに、この「悲歌」に正確な説明を與へうるのは果して私でありませうか? この詩は私を無限に凌駕致してをります。私はこの詩をば先づ「時祷書」のなかで既に提出せられ、次いで「新詩集」二卷において――なかば遊戲として、なかば試みとして――世界像を採用し、更にまた「マルテ」のなかで、葛藤しあつたまま一しよに、人生に引きもどされ、そしてそのやうな底も知れない空に浮いた人生は不可能であるといふ證明にのみ殆んど充てられたところの、根本命題の新しい形成だと思つてゐるのです。「悲歌」においては、同じ與件から出發しながら、人生は再び可能になります。すなはち人生はここにおいては決定的肯定を受取るのです。(あの若いマルテはその「長い稽古」(des longues ※(アキュートアクセント付きE小文字)tudes)の正しい困難な道を歩いていつたにも拘らず、遂にそこまでは到達することができなかつたのでした。)「悲歌」においては、生の肯定と死の肯定とが一つのものとなつて表示されてをります、その一方のもののみを他方のものなしに認める