田中 貢太郎

水郷異聞

一

山根省三は洋服を宿の浴衣に着替へて投げ出すやうに疲れた体を横に寝かし、片手で肱枕をしながら煙草を飲みだした。その朝東京の自宅を出てから十二時過ぎに到着してみると、講演の主催者や土地の有志が停車場に待つてゐてこの旅館に案内するので、ひと休みした上で、二時から開催した公会堂の半数以上は若い男女からなつた聴講者に向つて、三時間近く、近代思想に関する講演をやつた若い思想家は、その夜の八時頃にも十一時頃にも東京行きの汽車があつたが、一泊して雑誌へ書くことになつてゐる思想を纒めようと思つて、せめて旅館までゞも送らうと云ふ主催者を無理から謝絶り、町の中を流れた泥溝の蘆の青葉に夕陽の顫へてゐるのを見ながら帰つて来たところであつた。

それは静かな夕暮であつた。ゆつくりゆつくりと吹かす煙草の煙が白い円い輪をこしらへて、それが窓の障子の方へ上斜に繋がつて浮いて行つた。その障子には黄色な陽光がからまつて生物のやうにちら/\と動いてゐた。省三はその日公会堂で話した恋愛に関する議論を思ひ浮べてそれを吟味してゐた。彼が雑誌へ書かうとするのは某博士の書いた『恋愛過重の弊』と云ふ論文に対する反駁であつた。

「御飯を持つてまいりました、」

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