岡本 綺堂

鳥辺山心中

一

裏の溝川で秋の蛙が枯れがれに鳴いているのを、お染は寂しい心持ちで聴いていた。ことし十七の彼女は今夜が勤めの第一夜であった。店出しの宵――それは誰でも悲しい経験に相違なかったが、自体が内気な生まれつきで、世間というものをちっとも知らないお染は、取り分けて今夜が悲しかった。悲しいというよりも怖ろしかった。彼女はもう座敷にいたたまれなくなって、華やかな灯の影から廊下へ逃れて、裏手の低い欄干に身を投げかけながら、鳴き弱った蛙の声を半分は夢のように聴いていたのであった。

もう一つ、彼女の弱い魂をおびやかしたのは、今夜の客が江戸の侍ということであった。どなたも江戸のお侍さまじゃ、疎※(「勹+夕」、第3水準1-14-76)があってはならぬぞと、彼女は主人から注意されていた。それも彼女に取っては大きい不安のかたまりであった。

この時代には引きつづいて江戸の将軍の上洛があった。元和九年には二代将軍秀忠が上洛した。つづいてその世子家光も上洛した。その時に秀忠は将軍の職を辞して、家光が嗣ぐことになったのである。それから三年目の寛永三年六月に秀忠はかさねて上洛した。つづいて八月に家光も上洛した。

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