平林 初之輔

誰が何故彼を殺したか

一

下田の細君が台所の戸を開けたときは、まだ夜があけてまもない時刻だった。

その朝は、東京に気象台はじまって以来の寒さだったことが、その日の夕刊で、藤原博士の談として報じられた程で、まるで雪のようなひどい霜だった。地べたは硝子をはりつめたように凍てついていた。

彼女は左手にばけつをさげ、右手に湯気のもやもやたちのぼる薬缶をさげて井戸端へいった。井戸というのは、下田の家と、林の家と、柴田の家と三軒でかこまれた三四十坪許りの空地の隅にあって、この三軒の者が共同に使用している吸揚ポンプの装置をした井戸であった。

青空文庫の作品カード