堀 辰雄
(アンデルゼンの「即興詩人」)
又四五日前から寢込んでゐる。どうも春先きになるといけない。いつもきつと得體の知れない熱が出るのである。
※(アステリズム、1-12-94)
僕は本箱から鴎外の「即興詩人」を引つぱり出して見た。病氣をするとこの本を手にとるのがいつの間にやら習慣みたいになつてゐる。もう何遍目だか知れない。それだのに又しても讀んで行くうちに、僕はこのロマネスクな物語の中に引きずり込まれてしまふ。このアンデルゼンの小説だとか、シュウビンの「埋木」のやうな味はひの小説を何とかして書きたいものだと、病氣をする度毎に思ふのである。
アンデルゼンのものはこの外に中野重治の譯しかけた「わが一生のめえるへん」を讀んだことがある。これはアンデルゼンの自敍傳だ。「即興詩人」の譯のやうなわけには行かないが、中野の譯もまた獨得な美しさに富んでゐた。しかし彼がその譯を中途で放棄してしまつてゐるのは惜しい。その原稿は僕がいま預つてあるが、誰かアンデルゼンと中野重治とを愛するものがあつてこの譯を續けてくれるといいと思ふ。