泉 鏡花
おばけずきのいわれ少々と処女作
僕は随分な迷信家だ。いずれそれには親ゆずりといったようなことがあるのは云う迄もない。父が熱心な信心家であったこともその一つの原因であろう。僕の幼時には物見遊山に行くということよりも、お寺詣りに連れられる方が多かった。
僕は明かに世に二つの大なる超自然力のあることを信ずる。これを強いて一纏めに命名すると、一を観音力、他を鬼神力とでも呼ぼうか、共に人間はこれに対して到底不可抗力のものである。
鬼神力が具体的に吾人の前に現顕する時は、三つ目小僧ともなり、大入道ともなり、一本脚傘の化物ともなる。世にいわゆる妖怪変化の類は、すべてこれ鬼神力の具体的現前に外ならぬ。
鬼神力が三つ目小僧となり、大入道となるように、また観音力の微妙なる影向のあるを見ることを疑わぬ。僕は人の手に作られた石の地蔵に、かしこくも自在の力ましますし、観世音に無量無辺の福徳ましまして、その功力測るべからずと信ずるのである。乃至一草一木の裡、あるいは鬼神力宿り、あるいは観音力宿る。必ずしも白蓮に観音立ち給い、必ずしも紫陽花に鬼神隠るというではない。我が心の照応する所境によって変幻極りない。僕が御幣を担ぎ、そを信ずるものは実にこの故である。