大町 桂月
房州の一夏
一 沼村
面白かりしは、房州に於ける一夏。指を屈すれば、凡そ二た昔となりぬ。一行の盟主ともいふべき佐々木高美氏は、既に世に在らず。同行者の中、今は海軍將校となれるもあり、工學士となれるもあり、理學士となれるもあり、中學教員となれるもあり。當時はいづれも血氣盛りの青年なりき。
館山の町つゞきなる沼村に、二階が一間、下が二間なる家を借り、飯だけは、家主にたいてもらひ、餘は一切、各自交代して之を辨じぬ。同じく寓するもの、少なき時は三四人となり、多き時は十人にも及べり。その多くなりたる時は、枕足らず。トランプの勝負によりて、枕の有無を定めしこともあり。日暮れぬさきより、早く枕を懷ろにせるもあり。時に腕力に訴へて、枕の奪ひあひをせしこともありき。
毎日、海水に泳ぐのみにては足れりとせず。舟をうけて、沖ノ島や、高ノ島に遊び、汐入川に網うち、小川をかへぼししたり、すくひたりして、小魚を漁る。日がへりの遠足は度々したりしが、二三日かけて旅せしこともあり。雨ふれば、トランプに日をくらす。なほあかずして、海に盥舟までうけて遊ぶ。かくて、ひと夏は、夢のうちに過ぎぬ。