原 民喜

奇蹟

二年のB組の教室は、今しーんとして不思議な感激が満ちたまま、あっちでもこっちでも啜泣く声がきこえた。

「僕は泥水のやうに濁った腐敗分子でした。」と教壇の上で一人が釘づけになって、次を云はうとしてゐた。その時小使が頓馬な顔つきでドアを開けて、空の薬鑵を持って帰らうとしかけたが、

「それは後にしてくれ給へ。」と主任教師が※(「目+旬」、第3水準1-88-80)すると、小使はけげんな顔つきで教室を名残惜しさうに素速く見流して消えて行った。しかし誰もこのことで注意を掻き乱されたものはなかった。一同は今突然クラスを襲った懺悔の感覚で酔ってゐた。

「僕はただ泣いて皆さんにお詑びします。」と、既に両手で眼を押へてゐた一人が、ぎこちないお叩頭とともに教壇を降りると、自分の席に着くが早いか、机にしがみついてそこでまた啜泣いた。さうすると歔欷く声があちらでもこちらでも一層烈しくなった。そしてその声は、――さあ今度は君の番だ、と誰かの良心に訴へてゐるやうであった。間もなく一人が決心したやうに席を立つと、教壇に上った。ところが、どうした機みか、教壇がドカンと大きな響を立て、その肥満した男はよろめきさうになった。だが、彼は歯を喰ひ締って、感激の一瞬間を切りひらいた。

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