原 民喜

街の断片

A

相手の声がコックだったので彼女は自分の声に潤ひと弾みとを加へた。その方が料理に念を入れて来るだらうし、――マネージャー達だって私の声を聴いてゐるのだから――さあ、もっとだらだら喋ってやらう。

――ちょっと、ポテトは狐色に焼くのよ、え、解った? 卵は二つね、卵、あんまり焦さないでね、いいこと? モシモシ、ええ、卵よ、黄味を崩したりなんかしちゃ嫌よ。ちょっとそれからライスは焚きたてがある? あ、さう、今から凡そ何分ぐらゐで出来るの? あ、さう、ぢゃお願ひするわ。

口のなかに唾液が溜ったのをこくりと呑み込むと彼女は受話機を置いた。私はこんなに食べものにだって注意してゐるし、どんなに私が熱心なダンサーかマネージャーだって知ってゐる――彼女は男達の注意がみんな自分に集中されてゐるものと思って、悠々と事務室を出ると、ジャズの洩れる階段を昇って行った。後から昇って来るお客達だって皆私のなよやかな肩の線を視てゐるのだ、私の肩には男達の燃える視線の焼け跡が、ホラ、一つ二つ三つ……数へて行くうちにそれはジャズに紛れてしまった。

青空文庫の作品カード