田山 花袋・田山 録弥

『蒲団』を書いた頃

一

『何うして、あんな「蒲団」のやうな作が歓迎されたでせうな?』かうある人が言つたが、作者自身でも、何うしてあんな作が今でも売れてゐるかと思はれるほどである。少くともあの作は四五万は売れた。

しかし、あの時分のことを思ひ出すのは愉快だ。あの時分のことを思ふと、国木田君の顔と一緒に渋谷のさびしい別荘のやうな家が浮び出して来る。小諸から『破戒』の未成稿を抱いて出京して来た島崎君のあの大久保の通りに面したトタン屋根の狭い二畳が浮び出して来る。皆な元気で『今に見てをれ!』といふやうな心持が潮のやうに私達の心に漲つてゐた。

何うして私達のグルウプが出来たらう? 何の縁故も持たず、何の学歴をも同じうせず、また何の生立をも同じうしないで、何うして私達のあのグルウプが出来て行つたらう? 私達は言はゞ彼方此方から流れ出て来た川が、水源では何の関係をも持つてゐない川が、ある期間、ひとりでさびしく流れて来て、微かな微かな音を立てて流れて来て、そして一緒に落合つて、一つの大きな流れを成したやうなものであつた。国木田君は「国民新聞」派から、島崎君は「文学界」派から、私は何方かといへば「硯友社」派から出て来て、そして次第に一緒に雑り合つて行つた。

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