田山 花袋・田山 録弥
大阪で
汽車で、東京の近郊に行く。麦の黄熟したさま、里川のたぷたぷと新芽をたゝえて流れてゐるさま、杜の上に晴れやかに簇がり立つた雲のさま、すべて心を惹かないものはない。『麦ははや刈り取るべくもなれる野にをりをり白し夏蕎麦の花』歌は平凡だが実景である。
香川景樹の歌に、『夜半の風麦の穂立におとづれて蛍とぶべく野はなりにけり』といふのがあるが、いつでも今頃になると思ひ出されて来る。夜半の風と初句に切つて、麦の穂立におとづれてとつゞけた形が何とも言はれない芸術的な感じを私に誘つた。
曾て、関ヶ原を通つた時、『新しき若木若葉に日影さし埋れ果てたるいにしへのあと』と口吟んだが、此間通つた時にもさうした感が再び繰返された。何うしてか、此頃は跡といふことが頻りに私の心を惹くやうになつた。
京都から大阪に行く間の野には、けしの花の白いのが、麦畠や水田のところどころに際立つて見えてゐた。いかにも印象的で好かつた。