田山 花袋・田山 録弥

尾崎紅葉とその作品

一

『色懺悔』『夏痩』あたりから、私は紅葉の作物を手にした。矢張、毎朝『読売』の一回を楽んだ方で、『おぼろ舟』のお藤『心の闇』のお粂などは、長い間忘れられないほどの印象を私の頭脳に残して居た。

其頃『江戸紫』といふ雑誌が硯友社の人達の手に由つて発行されて居た。それを千駄木の鴎外漁史が評して、『われも紫の一本ゆゑにかの雑誌を愛読するものなり』といふ意味のことを書いた。紫の一本、無論それは紅葉を指して居た。

文壇には其時分いろ/\な異つた流派があつた。根岸派、千駄木派、早稲田派、硯友社派、民友社派など、皆違つた思想と文章とを持つて、銘々志す方に向いて居た。雅俗折衷だの、言文一致だの、国文復興だのと、文体すらまだ一定しないやうな時代で、堅苦しい漢文調で小説を書いて居たものすらあつた。従つて文体の一定といふことがよく言はれた。美妙二葉亭の言文一致、西鶴を模倣したやうな紅葉露伴の雅俗折衷、落合直文や小中村義象[#ルビの「こなかむらぎしやう」は底本では「こなかむらぎしよう」]を中心にした新しい国文調の文章、さういふものが段々に出来て行つた。其時分、文壇に出て行く人達は、先づ文体からきめてかゝらなければならないやうになつて居た。

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