田山 花袋・田山 録弥
心の絵
いつまで経つても、また何処まで行つても同じであるこの長い人生、時には退屈して何か人を驚かすやうなことをして見たいと思ふことはあつても、さて、さうしてやつて見たところで、矢張同じやうに何うにもならない人生――。この退屈さの対症療法としては、何も好い薬はないけれど、止むなくばそれ、孤独、無為、無想、無念か。
『あるがまゝで好い、あるがまゝで好い……。それを何うにかしやうと思つたことが間違つてゐた』
かういふ風に、誰でも一度は感ずるに相違ない。そこまでは誰でも行く。しかしそれから先何うなるか。あるがまゝで好い……それですましてゐられるか。すましてゐられる人もあるかも知れないが、すましてゐられない人もあるに相違ない。矢張、其処に行つても、あたりは混沌としてゐるに相違ない。無限の度数があるに相違ない。
従つてそこが難かしい。持つたものをしつかり攫むことが難かしい。持つたものを持つたと思はないやうになれば好いのであるけれども、苟くも持つてゐる以上、それを持つことを意識しないわけには行かない。そこに難かしい関門がある。従つて、人はその関門まで行つて、それを開ける方法を知らないでよく引返して来る。