田山 花袋・田山 録弥
孤独と法身
東京の夏は色彩が濃くつて好い。山や田舎と違つて、空気にもいろいろ複雑した色や感じがある。行かふ女達の浴衣の派手なのも好ければ、洋傘の思ひ切りぱつとしてゐるのも好い。朝蔭の凉しい中だけ勉強して、日影が庇に迫つて来る頃からは、盤※(「石+(くさかんむり/溥)」、第3水準1-89-18)して暮らす。夕方近くなるとカナカナやみんみんが鳴き出す。それをきゝながら、行水をザツと浴びて、庭樹の下などを漫歩する。いかにも夏らしくて好い。
樹の陰の深い処に、籐椅子を持つて行つて据ゑて、会心の書を読むのも亦夏の楽みの一つである。不思議にも此頃は仏教の本が手に上る。華厳は大抵読んだ。今は大般涅槃経に移つた。
それにしても仏教は巧妙な心理の立て方をしたものだと私は思ふ。楞伽経の最後のところにある禁肉の理由は、トルストイの菜食論や其他の菜食説などよりもぐつと先きのところを言つてゐる。
要するに、深い心理だ。心理を説いた立派な学問だ。大般涅槃経あたりに行くと、世尊がいかに唯我独尊であつたかといふことが愈わかつて来る。