田山 花袋・田山 録弥
雑事
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大衆文芸でも、通俗小説でも、作者が熱を感じて書いてゐるものなら、まだ救はれることもあらうが、さういふものがはやるからとか、金になるからとか言つて書いてゐるのでは、とても駄目であらう。
それはどんな中からでも、すぐれた才能を持つものは、その自己を光らせることが出来るとはいへよう。沙翁だツて、西鶴だツて、黙阿弥だツて、皆さうである。時代の空気もそれを誘つたには相違ないが、その根本は作者にある。これはその通りだ。しかし少くとも作者にはあれが真剣であつたのである。自分のやるべきことを十分にやつたのである。熱があつたのである。はやるからとか、金になるからとかいふことばかりで好い加減に書いたのではない。そこを考へて見なければならない。
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