田山 花袋・田山 録弥
中秋の頃
芭蕉の葉が破れ始めた。これでも、秋がもう深くなつたことが思はれる。朝、目が覚めると虫の音がさびしく聞えてゐる。それが言ふに言はれない詩興を促がす。
これからは書ける時だなどと思ふ。その癖、毎年碌なものを書いたためしもなく過ぎて来た。二十五六年前に、『隅田川の秋』といふ作をした時のことなどが不思議に思ひ出されて来た。
もうあの時分のやうな興会は得られまいと思ふとさびしい気がする。矢張かうしていつの間にか過ぎて行つて了ふのだ……。為ようと思つたことの半分も出来ずに。
今年は夏は晴天つゞきであつたが、今になつては雨が頻りに降る。毎日雨滴の木の葉や樹の幹から落ちるのを見て机に向つてゐる。鳥なども寒さうでまたさびしさうだ。毎朝きまつて朝の挨拶をするやうにしてやつて来た大きな蝦蟇もこの頃は何処に行つたか姿も見せなくなつた。それにしても其一部も人間に分つてゐない蝦蟇の生活が不思議な気がした。眼の大きい末の女の児に、『そら、お前の先祖が来たぜ』などゝ言ふと、『どれ? 何処に? 何だ? おかまがへるか』と云つて笑つた。