田山 花袋・田山 録弥

ひとつのパラソル

一

大学生のKが春の休みに帰つてからもう三日になつた。かれは昨年の矢張今頃に母と父とを三日おきに亡くしてゐるので、そのお祭をするのもその帰郷の大きな理由だが、それ以上にかれは常子の眉目に引かれてゐた。Kはせめてその休暇をかの女のゐるところで静かに送らうとしたのである。

勿論、二人の間にはまだ何事も出来てゐるのではなかつた。Kの憧憬は其処にも此処にもその常子の面影を見、呼吸を感じ、そのやさしい存在を描くことが出来るほどそれほど強く色彩づけられてあつたけれども、しかもその心は少しも向ふに通じてゐるわけでも何でもなかつた。常子は常にやさしい顔を静かに裁縫の上に落してゐた。さういふ熱い男の恋心が、垣に添つて、または小路をつたつて、時には塀のかげ、時には川の畔といふ風に既に二年もそこらを彷徨つてゐるやうなことは夢にも知らなかつたのである。やさしい小さなつゝましやかな鳩!

しかも今度の帰郷に際して、ことにKに情けなかつたことは、既に三日になつても、未だに一度もその憧憬の心を満足させることが出来なかつたことである。その眉目を眼の前にすることが出来なかつたことである。不幸にして常子はそこにゐなかつたのである。東京の親類へ行つたといふことは今日になつて始めてわかつた。

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