薄田 泣菫
茸の香
私は今上醍醐の山坊で、非時の饗応をうけてゐる。
坊は谿間の崖に臨むで建てかけた新建で、崖の中程からによつきりと起きあがつて、欄干の前でぱつと両手を拡げたやうな楓の古木がある。こんもりとした其の枝を通して、段々下りの谿底に、蹲踞むだやうな寺の建物が見え、其の屋根を見渡しに、ずつと向うの山根に小ぽけな田舎家が零れたやうに散ばつてゐて、那様土地にも人が住むでゐるのかと思はしめる。
吸物の蓋を取ると走りの松蕈で、芳ばしい匂がぷんと鼻に応へる。給持の役僧は『如何だ』といつた風に眼で笑つて、然して恁う言つた。
「折角の御越やさかい、山中捜しましたが唯一本ほか見附りまへなんので、甚い鈍な事とす」