田山 花袋・田山 録弥

浴室

一

……此処まで来れば、もはや探し出されるおそれはない。あらゆるものから遁れて来た。あらゆる障碍から、あらゆる圧迫から、あらゆる苦痛から。かう思つて、Kはじつとあたりを眺めた。

サツと流れてゐる谷川が一番先きに眼に入つた。それはさう大して好いといふほどではないが、ところどころに岩石があつて、その上で新しい鍔広の麦稈帽を日にかゞやかしつゝ避暑客が鮎を釣つてゐるのがそれと指された。此方から向うの町に行く仮橋の上には、をりをり自転車や車が通つて行つた。

Kはじつと一ところサヽラのやうに砕けて白く流れてゐる谷川の瀬に見入つてゐたが、その内部には常に絶えずかの女をはつきりと強く感じた。かの女を、たうとうその身のものにして了つたかの女を、嵐のやうな中を竟に此処まで引張つて来たかの女を、かの女の心を、かの女の肌を、かの女の眉を、かの女の唇を。

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