田山 花袋・田山 録弥
草津から伊香保まで
高原から下りた処には、両岸から絶壁が迫つて、綺麗な谷川が流れて居た。
朝から晴れたり曇つたりして居た。時には雨も来た。日影を受けながらサツと降つて通る気まぐれな雨、谷川の橋を渡る時には、私は蝙蝠傘をさして居たと記憶して居る。
胸を突くやうな坂、雨と霧とに滑る山路、雑草の中には大きな山百合が俛首れて咲いて居た。霧の間から見えて隠れる木立の幹はあたりを何処となく深山らしく見せた。
若い私の体には元気が充ちて居た。十二三里を歩くのは、さう大したことには思つて居なかつた。草津から伊香保まで。其間を一日に歩くつもりで、今朝早く草津の旅宿を発つて来た。暮阪の峠の上には、瀟洒な茶店があつて、其処では老婆がラムネを冷たい水に浸して客を待つて居た。吾妻川の渓は狭く前に展けて、特立した岩山が面白い形をして其所に聳えて居た。