森 鴎外・森 林太郎
鼎軒先生
鼎軒先生には一度もお目に掛かつたことがない、私は少壯の頃、暇があれば本ばかり讀んでゐたので名家の演説などをもわざ/\聽きに往つたことが殆ど無い、そこで餘所ながら先生のお顏を見る機會をも得ないでしまつた、
先生がアアリア人種に日本人も屬するといふことを論じた小册子を出された頃であつた、友人上田敏君が宅の二階に來て、話をしてゐられた、私はふいと思ひ出して、かう云つた、
「僕は此頃田口卯吉と云ふ人の書いた本を見たが、日本人がアアリア人種だと云ふ論斷がしてある、そしてその理由として擧げてある言語學上の事實が、間口ばかり廣くて手薄である、學者はあんな輕卒な論斷をしては困るぢやないか、」
かう云ふと、上田君が愛敬のある疊なり合つた齒を見せて、意味ありげに笑つた、