岡本 綺堂
目黒の寺
住み馴れた麹町を去って、目黒に移住してから足かけ六年になる。そのあいだに『目黒町誌』をたよりにして、区内の旧蹟や名所などを尋ね廻っているが、目黒もなかなか広い。殊に新市域に編入されてからは、碑衾町をも包含することになったので、私のような出不精の者には容易に廻り切れない。
ほか土地はともあれ、せめて自分の居住する区内の地理だけでも一通りは心得ておくべきであると思いながら、いまだに果し得ないのは甚だお恥かしい次第である。その罪ほろぼしというわけでもないが、目黒の寺々について少しばかり思い附いたことを書いてみる。
目黒には有名な寺が多い。先ず第一には目黒不動として知られている下目黒の滝泉寺、祐天上人開山として知られている中目黒の祐天寺、政岡の墓の所在地として知られている上目黒の正覚寺などを始めとして、大小十六の寺院がある。私はまだその半分ぐらいしか尋ねていないので、詳しいことを語るわけには行かないが、いずれも由緒の古い寺々で、旧市内の寺院とはおのずからその趣を異にし、雑踏を嫌う私たちには好い散歩区域である。ただ、どこの寺でも鐘を撞かないのがさびしい。
目黒には寺々あれど鐘鳴らず鐘は鳴らねど秋の日暮るる