永井 荷風
巷の声
日々門巷を過る物売の声もおのずから時勢の推移を語っている。
下駄の歯入屋は鞭を携えて鼓を打つ。この響は久しく耳に馴れてしまったので、記憶は早くも模糊として其起源のいつごろであったかを詳にしない。明治四十一年の秋、わたくしが外国から帰って来た時、歯入屋は既に鞭で鼓を打ちながら牛込辺を歩いていたようである。
その頃ロシヤのパンパンと呼んで山の手の町を売り歩く行賈の声がわたくしには耳新しく聞きなされた。然しこれとても、東京の市街は広いので、わたくしが牛込辺で物めずらしく思った時には、他の町に在っては既に早く耳馴れたものになっていたかも図られない。
凡門巷を過行く行賈の声の定めがたきは、旦暮海潮の去来するにもたとえようか。その興るに当っては人の之に意を注ぐものなく、その漸く盛となるや耳に熟するのあまり、遂にその消去る時を知らしめない。服飾流行の変遷も亦門巷行賈の声にひとしい。