永井 荷風

梅雨晴

森先生の渋江抽斎の伝を読んで、抽斎の一子優善なるものがその友と相謀って父の蔵書を持ち出し、酒色の資となす記事に及んだ時、わたしは自らわが過去を顧みて慚悔の念に堪えなかった。

天保の世に抽斎の子のなした所は、明治の末にわたしの為したところとよく似ていた。抽斎の子は飛蝶と名乗り寄席の高座に上って身振声色をつかい、また大川に舟を浮べて影絵芝居を演じた。わたしは朝寝坊夢楽という落語家の弟子となり夢之助と名乗って前座をつとめ、毎月師匠の持席の変るごとに、引幕を萌黄の大風呂敷に包んで背負って歩いた。明治三十一、二年の頃のことなので、まだ電車はなかった。

当時のわたしを知っているものは井上唖々子ばかりである。唖々子は今年六月のはじめ突然病に伏して、七月十一日の朝四十六歳を以て世を謝した。

二十年前わたしの唖々子における関係は、あたかも抽斎の子のその友某におけると同じであった。

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