久坂 葉子
落ちてゆく世界
ある日――
足音をしのばせて私は玄関から自分の居間にはいり、いそいで洋服をきかえると父の寐ている部屋の襖をあけました。うすぐらいスタンドのあかりを枕許によせつけて、父はそこに喘いでおります。持病の喘息が、今日のような、じめじめした日には必ずおこるのです。秋になったというのに、今年はからりと晴れた日はまだ一日もなく、なんだか、あついような、そして肌寒い毎日でありました。
「唯今かえりました。おそくなりまして。いかがでございますか……」
父は黙って私の顔をみつめております。私は父のその目付を幾度もうけて馴れておりますものの、やはりそのたびに一応は、恐れ入る、という気持になって、丁寧に頭をさげます。そして、ぎごちなく後ずさりをして部屋を出ました。