長谷川 時雨
旧聞日本橋
青葉の影を「柳の虫」の呼び声が、細く長く、いきな節に流れてゆく。
――孫太郎むしや、赤蛙……
ゆっくりとした足どりで、影を踏むように、汚れのない黒の脚絆と草鞋が動く――小いさな引出しつきの木箱を肩から小腋にかけて、薄藍色の手拭を吉原かむりにしている。新道にはまだ片かげがあって打水に地面がしっとりとしている。
――しもたやのくせに店をもっている家――そうではなかったのかも知れない――閑散な店なのだったのかも知れないが、あんぽんたんはその家の、二間の障子がすぐはまっている店口に腰をかけて、まばらに通る往来の人を眺めていた。その家は一間巾位の中庭があったので、天窓からのような光線が上から投げかけられ、そこに植った植木だけが青々と光っていて、かえって店の中の方が薄っ暗かった。天井から番傘がつるしてあるだけを覚えている。眉毛をとった中年増の女房さんと、その妹だという女と、妹の方の子らしい、青い痩せた小さな男の子とがいた。