長塚 節

記憶のまゝ

故人には逸話が多かつた。數年間交際を繼續して居た人々は誰でも他の人には知られない、單に自分との間にのみ起つた或事實の二つや三つは持つて居ないことは無いであらう。それが大抵は語れば一座が皆どつと笑ひこけるやうなことのみに屬して居るらしい。一體故人の生涯は恐ろしい矛盾の生涯であつた。矛盾といふことは人生の常態であるにしても故人のは殊に甚だしいのである。あの何事にも理窟が立つて時としては其弊に墮する程滔々として自己の意見と[#「意見と」はママ]發表し、往々にして對手を感服させるといふよりも寧ろ威壓して畢ふといふ程の力を有して居たにも拘らず、其相貌の何處といふことなしに滑稽な分子を含んで居て、聰明な後進の人々からは何時でも竊に微笑を浴せ掛けられて居たらうと思はれるのである。それが非常に度の強い眼鏡を二つも掛けなければ能く見ることが出來ない程の近視眼から遂に物事に間が拔けて勢ひ滑稽の分子が附纒うたに相違ない。

日本新聞で第四回目かの短歌の募集があつた時、故人と格堂君と自分と三人が根岸庵に會合して正岡先生の下見をして置いた應募歌の中から先生の入選に成つたものを格堂君が書き拔いて、其一つ/\に就いて各自に異存があれば苦情を持ち出すことにして、牀上の先生も成るべく數の少くなる方がいゝからどん/\減りますよ抔と、唯さへ小さく成つて居た自分を笑ひながら揶揄はれたことである。其頃は自分の製作の善惡などは問題ではなく唯一つでも餘計に選ばれて晴の紙面に印刷されるのを無上の手柄でもした樣に喜んで居た罪のないあどけない然しながら誠實な時代であつた。當時相當の年齡に達して居て、實社會に立つても堂々たる一家の主

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