喜田 貞吉

八坂瓊之曲玉考

一 緒言

昭和三年七月発行関西考古会の機関雑誌『考古』第三号において、余輩は未熟なる「曲玉考」一篇を発表して管見を学界に問うたことがあった。要はいわゆる曲玉なる名称が、今日の人々の普通に考うるごとく勾形をなす一種の玉のことではなく、本来はいわゆる玉の緒をもって数個の玉を連ねたもの全体の称呼であったというにある。しかしながら、当時材料すこぶる不備であって、その後新たに考え得たところが多く、ことに最近琉球に旅行して、同地の巫祝の佩玉の実際を視察し、かつこれに関する説話をも聞くを得て、啓発せらるるところすこぶる多かったがために、本誌〔(『歴史地理』)〕更新のこの新年号において、特にわが三種の神器の一なる八坂瓊之曲玉の名義につき、稿を改めてその由来、変遷を論じて見ることとする。もちろん今回の発表も、畢竟は前説を補説刪修するに過ぎず、したがって彼是時に多少の重複あるを免れざることについては、あらかじめ読者の御宥恕を請うておきたい。

二 タマという名称

邦語において普通に「タマ」というところのもの、余輩これにあつべき適当な漢字を知らぬ。古人もまた同様であったと見えて、『古事記』『日本紀』などの古書には、「玉」「珠」「瓊」「※(「王+總のつくり」、第4水準2-80-88)」などの文字を用い、後世では「丸」「球」などいう文字までが当てられているが、もちろんいずれも十分その意義をあらわし得たものではない。いうまでもなく「玉」は玉石の「玉」で、その材料の質について言ったもので、その形態のいかんにはかかわらない。さればシナにおいては、いやしくもこれを磨き上げて作ったものはすべて「玉」であって、その形

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