喜田 貞吉

時勢と道徳観念

虎関の作と云い、玄慧の作とも言われる異制庭訓往来に、

賊に大小あり、小罪既に大罪よりも軽し。小賊何ぞ大賊に等しからんや。窃盗・強盗は山賊・海賊の比にあらず。山賊・海賊は他領押両(領)の大賊党に比せず。又位を諍ひ国を奪ふの大盗よりも軽し。然らば末代は皆賊世なり。たゞ我一人のみにあらざるなり。夫れ殷湯の夏を奪ひ、周武の紂を伐つ、何ぞ尭舜揖譲の政に同じからん。全く聖主賢君の風にあらず。

とある。甚だ以て穏かならぬ言い分ではあるが、賊の立場からの弁解としてはその謂われがないでもない。時勢と境遇とによって人間の思想も感情も変る。平日には一人を殺傷しても警察が大騒ぎをして検挙につとめるが、戦時に敵を多く殺したものが殊勲と賞賛せられるのは眼前の事実だ。切取強盗は武士の習いとして憚らない時代もあった。自分で海賊大将軍と誇称して威張ってみた時代もあった。名誉の強盗、いみじき盗賊の語は、むかしの物語物にしばしば繰り返されている。この場合盗賊必ずしも物取りではない。今昔物語「阿蘇史盗人にあひて謀りて遁るる語」に、阿蘇史某が夜更けて西の京より帰る途中で強盗に遇って、甘くこれを欺き無事に難を免れた話がある。家に帰ってその妻に途中の出来事の話をすると、妻はひどく感心して、さてさてあなたはその盗人にも増した御心だと云ったとある。それを今昔物語の作者が批評して、阿蘇の史は「長け短なりけれども、魂はいみじき盗人にてぞありける」と云っている。盗人とはすなわち剛胆者の称だ。徳川時代には海賊はすなわち海軍であった。海賊奉行はすなわち海軍奉行だ。今の東京日本橋区第一銀行の際の橋をもとは海賊橋と云った。そこに海賊方向井将

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