和辻 哲郎
藤村の個性
藤村は非常に個性の強い人で、自分の好みによる独自の世界というふうなものを、おのずから自分の周囲に作り上げていた。衣食住のすみずみまでもその独特な好みが行きわたっていたであろう。酒粕に漬けた茄子が好きだというので、冬のうちから、到来物の酒粕をめばりして、台所の片隅に貯えておき、茄子の出る夏を楽しみに待ち受ける、というような、こまかい神経のくばり方が、種々雑多な食物の上に及んでいたばかりでなく、着物や道具についてもそれぞれに細かい好みがあった。そうしてまたそういう好みを実に丹念に守り通していた。
住居についてもそうであった。新片町や飯倉片町の家は、借家であって、藤村の好みによった建築ではないが、しかしああいう場所の借家を選ぶということのなかに、十分に藤村の好みが現われているのである。随筆集の一つを『市井にありて』と名づけている藤村の気持ちのうちには、その好みが動いているように思われる。市井にある庶民の一人としての住居にふさわしい、ささやかな、目だたない、質素な家に住むことを、藤村は欲したのであろう。しかしそういう住居のなかには、市井庶民の好みに合うような、さまざまな凝った道具が並んでいなくてはならなかったであろう。あるとき藤村は、置き物を一つか二つに限った清楚な座敷をながめて、こうきれいに片づいていると、寒々とした感じがしますね、と言ったことがある。
その藤村が自分の家を建てたいと考え始めたのは、たぶん長男の楠雄さんのために郷里で家を買ったころからであろう。「そういう自分は未だに飯倉の借家住居で、四畳半の書斎でも事はたりると思いながら自分の子のために永住の家を建てようとすることは、